おぜクリ通信
父の見舞い
立石 八重子
先日、入院中の父を見舞いに行きました。老衰で介助無しでは何も出来なくなっているので、食事もスプーンで食べさせるのですが、すぐに眠ってしまったり、口に入れても、噛まずにそのままの状態だったりと、なかなか食事がすすみません。
現在のリハビリ病院に移って、トロミ食から刻み食に変わったのですが、食事に1時間半は、ゆうにかかるらしいです。
ある日、帰省の際にその病院で付き添いながら昼食を食べさせてみましたが、本当に大変でした。リハビリも含めて何度も大声を出させたり、口を開けさせたりを繰り返していたら、すぐに1時間はすぎてしまいました。それでも食器にはまだ半分以上は残っています。「ハーッ」とため息をついていると、看護師さんが、「もうそれくらいでいいかなぁ」と言いながら近づいてきました。「えーっ、まだこんなに残っているのに」とやや不満な気持ちで見ていたら、薬を食事の中に混ぜて、手早く残りを口の中に入れてしまいました。これにはさすがに驚きました。というか、感服しました。最後の大好きなデザートは、問題なく食べてようやくお食事タイムが終了。私は、どっと疲れて帰路についたのでした。
姉に食事時間の話をしたら、“私はもっと短いよ、スプーン一杯の量が多いから、それに、やっぱり慣れでしょうね。頻繁に行っていたら、体調もわかるから食べさせやすいのかもしれないね”ということでした。
今回、寝たきりの人の食事介助はとても大変だということが身をもってわかりました。食事一つをとっても、これほど大変なのに、一人の生活の全ての介護するということは、いかに難しいことか。
今は、その必要がないかもしれないけれど、いずれは私も誰かを介護することになるでしょう。その時のためにも、もっと日頃から介護に関心を持つことはたいへん大切なことだと強く思いました。それから、一人でなんでも背負い込まないこと、介護する人、される人が、少しでも負担を感じなくて済むように、利用できるものは何でも利用するということが大事だと思いました。
私が帰省中に父の食事の手伝いをしたのは、たったの2回でしたけれど、それだけでも精神的にも肉体的にもきついと感じました。ほんの少しの介護とは名ばかりのお手伝いだったのに。私は遠くにいて、なかなかお見舞いには行くことができませんが、頻繁に病院に行ってくれる姉や看護師さんの頼もしさに感謝しつつ、安心して、やや後ろ髪引かれながらも、帰ることが出来ました。
でも、遠くにいる私にできることを、ようやくひとつ見つけました。理解してくれるかどうかはわかりませんが、せめて、何とかして繋がっていたいと思うから、季節の便りを送ること。四季の模様の入った葉書や便箋を見つけて、父に送ることにしました。